<由緒> 当社は、古くは大神宮と号し、別当は地内の新義真言宗華厳寺であった。 この華厳寺は、建久五年(1194)の創建と伝え、本尊は 大日如来である。また、境内には大日堂があり、 この堂は横瀬氏の建立と伝えている。 当社の創建は、この別当華厳寺の信仰と深くかかわると考えられる。 それは鎌倉期成立の『沙石集』に「内外(うちそと)の両宮は金胎両部の 大日如来とこそ習ひ伝へて侍れ」とあるように、伊勢両宮の大神は 大日如来の化出したものであると説かれていることによる。 横瀬には、当社のほかに、かって聖天社と号していた 鎮守の横瀬神社がある。当社は恐らく、華厳寺が祀る聖天社と 一対をなす伊勢両宮勧請の社であり、これが貞亨年間年間(1684− 88)に、横瀬が本田と新田に分離したのに伴い、その鎮座地の 関係から、新田の鎮守として祀られるようになったのであろう。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
<参拝メモ> 下手計の鹿島神社から横瀬神社へ向かう途中、 こんもりとした森を中の当社を見かけ、参拝。 辺りは見渡す限りの田圃で、あたかも緑の海に浮かぶ 小島に鎮座している・・、そんな感じの神社だった。 木陰に車を停めしばし憩っていると、野面を渡ってくる風が 涼しくて気持ちよかった。 狛犬もいない、本当に小さな小さな社で、 予定にもない神社だったが、こんな出会いも又、 ご利益というものだろう。 (駐車スペースあり) |