<由緒> 江戸後期の上南畑村に祀る神社について『風土記稿』は 「明石明神社 村の鎮守なり、村内金蔵院持、稲荷社、水越明神社 是も村の鎮守にして、古は金蔵院の持なりしが、今は下南畑村 西蔵院の持なり、稲荷社、蛇木明神社、牛頭天王社 以上二社は 金蔵院持、神明社、農民の持、稲荷社三宇、一は金蔵院の持、 二社は農民の持なり」と載せ、このうち水越明神社が当社である。 明治五年村社となり、同四十一年に明石氷川神社、同境内社雷電神社 、蛇木神社・須賀神社を合祀し、同四十二年には社号を 上南畑神社と改めた。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 昭和4年(1929)建立 子落とし狛犬 ------------------------- ![]() ![]() 雷電社 須賀神社 |
<参拝メモ> 当社は荒川と新河岸川に挟まれ、 古来、水害にたびたび見舞われたらしい。 水害に見舞われても、肥沃な土地を開墾し 人々の営みが行われていたのだろう。 室町時代中頃には、既に祀られていたということである。 (駐車スペースあり) |