<由緒> 当地は、古くは上野国新田荘に属し、元久二年(1205)の 源実朝下文案に、新田義兼の所領と記載されている。 新田荘の総鎮守は、古代から崇敬された群馬県新田町の 旧県社生品神社で、これは『上野国神名帳』に「従三位生階明神」と 載せられている。当社は、この神社の分社で、恐らく新田荘の 地頭であった新田一族により、新田荘高島郷の鎮守として 勧請されたものであろう。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 左石柱 皇居遥拝所 ![]() ![]() ------------------------- ![]() 昭和2年(1927)建立 新炎形狛犬 ![]() ![]() ![]() ![]() |
<参拝メモ> 埼玉県と群馬県を結ぶ上武道路、深谷市石塚交差点先を 左折したところに鎮座している。 少し先は利根川である。 青々とした田園が広がる、埼玉県でも最北部の場所である。 (駐車スペースあり) |