深谷市・藤田神社>埼玉の神社>古社巡拝録

    藤田神社
      ふじたじんじゃ  

神紋上り藤に田の字
 ご祭神 

 鎮座地 埼玉県深谷市本郷1525
 参拝日 2016.5.24
<由緒>

当社が初めに鎮座していた所は、藤の木と呼ばれる地で、そこには
坂上田村麻呂が東夷平定の際、当社に武運を祈り、持っていた藤の鞭を
「わが軍に利あらば繁茂せよ」と誓って地面に逆さに突き刺したといわれる
逆さ藤の伝説が語られている。
また、現在地、つまり飯玉神社の境内地に遷座したのは、明治四十一年のことで、
飯玉神社は、この折、当社の末社となっている。
創建は『風土記稿』によると「藤田社 藤田郷寄居村の聖天を勧請せしものゆへ、
この社号ありと云、されど寄居村の正龍寺の旧記に、康邦夫婦及び先祖正行の
三霊を神に祀り、用土城西北の原野中、藤樹の下に三社を建立し、
藤田大明神と唱ふと、是当社のことなるべし」と記している。
これにある聖天というのは、藤田郷十二か村の鎮守である聖天宮のことで、
永享六年(1434)の「前長門守藤田宗貞寄進状」(相用文書)によると、
北武蔵の名族藤田氏に厚く崇敬されていたことがわかる。
当地は、この藤田氏所領にあったため、同氏ゆかりの者が聖天宮の神と
藤田氏一門の霊を祀ったものであろう。
ちなみに、ここに載る康邦は、天文年間(1532-55)、北条氏康の三男
氏邦を養子に迎え、北条氏に服属した藤田重利である。


「埼玉の神社 埼玉県神社庁」より










 



 


境内末社


-------------------------

-------------------------
平成15年建立 狛犬




<参拝メモ>

旧岡部町に鎮座している。
由緒にある北条氏は、我が先祖にも所縁ある鉢形城主で、
藤田氏の子孫の方とは、祖父も交流があったということを、
亡母から聞かされたことがある。
遥か昔、この地で活躍していた遠い先祖たちに思いをはせ、
参拝できたことに感謝した。


(駐車スペースあり)



     
 HOME    INDEX









inserted by FC2 system inserted by FC2 system