<由緒> 当社の創建については。二つの経緯が考えられる。 まず、第一は、当地に隣接する中瀬の地は、利根川に臨み、 かって鎌倉古道である北越街道の通路に当たる渡船場があり、 また利根川の舟運にかかわる河岸場が置かれていたことから、 古くから要衝であったことがわかる。このような背景から、 利根川の舟運にかかわる村人が、日ごろから航海安全の神として 信仰する常陸国一ノ宮の鹿島神宮の神を当地に 分霊したとする説である。 第二は、かって隣村の大塚島に鎮座する鹿島大神社の社領であった と伝える下手計・沖・戸森・内ヶ島・田中(伊勢方の小字)などの 村々などには「鹿島社」が祀られている。 このことから、当社は往時、この鹿島大神社から分霊を受けた とする説である。 いずれにせよ、鎌倉公方足利基氏御教書に、貞治二年(1363)に 安保信濃入道所領の跡、下手計の地を岩松直国に与えると あるところから、この時期既に上下に分村していたことがわかり、 当社の創建もこの時代までさかのぼるのであろうか。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
![]() ![]() ![]() ![]() 渋沢栄一揮毫の社号額 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 神楽殿 ![]() ![]() 昭和9年(1934)建立 炎尾形狛犬 ![]() ![]() 欅の神木 ![]() |