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     武蔵野・八幡神社
        むさしの  はちまんじんじゃ

 ご祭神


 
 鎮座地 深谷市武蔵野1862
 参拝日  2014.5.12

<由緒>

当社の西側を通る県道小前田・児玉線は、建久三年(1192)源頼朝が
鎌倉幕府を開いてから整備した鎌倉街道であると伝えている。
頼朝やそれに従った者たちの八幡信仰はよく知られている。
当社も、この街道を通って、鎌倉に向かった当地の武将が信仰したものなのであろう。
江戸期は、当社の北東に位置する浄土宗常光寺が別当で、祭祀を司っていた。
その後、明治に入り、政府から神仏分離令、次いで神社合祀政策が打ち出された。
当社も、明治四十一年には、字東宿地の無格社大荒神社、
字正法寺の無格社諏訪大神社を合祀し、社名を八幡大神社と改めた。
更に、翌四十二年には、字宮地の村社十二社大神社及び
その境内社八幡大神社を合祀した。この折、字風原の村社足高大神社も
合祀する予定であったが、賛同が得られず中止となった。
このため足高大神社は、合祀された十二社大神社の氏子への配慮から、
社名を大正四年に武蔵野神社に改めた。
また、一旦合祀された十二社大神社は、昭和二十八年に地元の氏子の強い要望により、
十二社神社の社名で字濡僧の地に分祀され、当社も八幡神社の旧称に復した。


「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より








社号額
明治の元勲
犬養毅の書

日露戦役記念額
陸軍元帥
野津道貫の書





合祀社                            仙元 
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昭和15年(1940)建立 立尾形狛犬





<参拝メモ>

美里町の巡拝を終え、花園インターチェンジに向かう途中に参拝。
我が母のふるさと、小前田や寄居町には幾度となく行っているし、
武蔵野という地名も母から聞いてはいたが、訪ねるのは初めてだった。
その昔、坂東武者が活躍した土地だけに、由緒ある神社らしく、彫刻も素晴らしかった。
何より、明治の元勲犬養毅の社号額や、陸軍元帥野津道貫の額が珍しかった。
どのような経緯でこの神社に奉納されたのか、興味深いところだ。

(駐車スペース有)





   
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