<由緒> 社伝によると、当地は応永二十三年(1416)関東管領上杉憲房の 所領となり、後にその重臣岡谷加賀守香丹の治めるところとなった。 香丹は、延徳三年(1491)に隠居し、長子清英にその跡を譲ったが その後も身を費やして当地の開拓に尽くした。 明応五年(1496)六月、当地一帯が大干ばつに襲われるや、 香丹は直ちに領民に水利の向上を督励した。 水源地には、現在当社のある辺りを選定し、広さ百余坪、深さ一丈 余りにわたって掘ったところ、水が殊のほか湧き出し、耕地を潤した。 歓喜した領民は、明応七年(1498)妻沼の聖天宮の神を この遊水地に勧請したという。 ちなみに、聖天宮は古代、利根川右岸に広がっていた女沼(めぬま)に 坐す水神を祀っていたという伝承がある。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
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