<由緒> 名栗川の南岸にある当地は、二つの山の狭間にあり、すぐ後ろは竜崖山が控え 前方には多峯主山が望める。『風土記稿』によると古くはここは 軍茶ヶ根(ぐんだがね)村と呼ばれ、これは「軍太利神社」を祀るために 付けられたものかと記されている。 社記によると、当社の勧請は土豪の大河原四郎の手により行われ、 部門の守護神として末社摩利支天社とともに祀られる。 大河原氏はこの地の殿屋敷と呼ばれる所に居住し、当社南方の竜崖山に砦を築き 戦いに備え、殿屋敷・篝場・売堀・馬場などの地名が『明細帳』の記載に見える。 また、近くの真言宗金蔵寺と八耳堂(太子堂)も大河原氏が厚く信仰していたと伝える。 末社の摩利支天社は負けず嫌いの神といわれ、現在でも勝負事や商売繁盛の 願を掛けるものはブリキの剣を奉納するのを習わしとしている。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
軍太利神社社殿 摩利支天社 八耳堂 文化13年(1818)建立 江戸立ち尾形狛犬 |
<参拝メモ> 八耳堂は県道沿いにあり、軍太多利神社は奥まった山陰に鎮座している。 狛犬も、軍太利神社ではなく、八耳堂に座っていた。 明治の神仏分離以前は、どちらも同格に信仰されていたのであろう。 文化13年建立の狛犬は傷みが進んでいるようで 表情があまりよく分からなかった。 (駐車スペースあり) |