弊立神宮>古社巡拝

弊立神宮
へいたてじんぐう

ご神紋 違い鷹の羽
 ご祭神
神漏岐命(かむろぎのみこと)
・神漏美命(かむろみのみこと)

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
阿蘇十二神(あそじゅうにしん)

 
 鎮座地 熊本県上益城郡山都町大野712
 参拝日  2015.4.29

<由緒>

神武天皇の孫である健磐龍命が、阿蘇に下向した際この地で休憩し、
眺めがとても良い場所であると、幣帛を立て天神地祇を祀ったという

その後、延喜年間(901−923)間阿蘇大宮司宮司友成が神殿を造営
伊勢両宮
を祀り幣立社と号した。
天養
元年(1144)年には、阿蘇大宮司友孝が阿蘇十二神を合祀し大野郷の総鎮守とした

現在の社殿は、享保14年(1729)年、細川宣紀により改修されたもの。
明治6年(1873)郷社に列した。
なお、天孫降臨の伝承を持つ高千穂にも近く、他にも神話、伝承などが伝わる。

(WIKIPEDIA)より
























明治44年(1911)建立 狛犬



伊勢内宮

伊勢下宮

大野神社





天神木の首っ玉



社殿裏山に広がる
ヤマブキソウ(クサヤマブキ)の大群落



五百枝裏杉

東水神宮









八代龍王の池

瑞穂年の神木


 九州の屋根の分水嶺

幣立神宮は"九州のへそ(中心)"と呼ばれる蘇陽町にあります。
国道218号と265号が交差する要衝の地でもあります。

お宮は小高い森の上に鎮まっています。縄文の太古から生き続けているような大木がうっそうと茂り、
おごそかな神域の雰囲気につつまれます。
神殿の屋根に降る雨は東は五ヶ瀬川に注ぎ太平洋へ、西は緑川へ流れインド洋へと通じています。
九州の屋根の分水嶺です。

見晴らしのよい所に立つと阿蘇、久重、祖母、由布、鶴見の峰々の景観が一望です。
大自然に抱かれているという実感が理屈なしにズシンと体の中にしみこんできます。
いつしか時空を超えて人類の根源、宇宙の摂理といったものへ思いが馳せていきます。

この地こそ高天原発祥の地といえば、みなさんは驚かれるでしょうか。
あれは神話の世界の話、大和朝廷が自らの権威付けのために作られた物語にすぎない。
ようするに観念上の所産であると思われています。
しかし、そうした科学的といわれる古代史観を絶対とする視点からは
古代の人々の願いや伝承が語り継いできた"真実"は見えてこないのです。


 樹齢一万五千年のご神木

幣立神宮には樹齢一万五千年と伝えられるヒノキの巨樹がそびえています。
ここに天孫がご降臨され、神霊がお留まりになりました。カムロギ・カムロミの命です。
幣立神宮はこの二柱を祀る聖地の根本の神社であり、高天原・日の宮とも呼ばれるゆえんです。
一度ご神木の前に立ってみてください。おそらく屋久島の縄文杉よりも古い
無限の生命力に心うたれることでしょう。それは、一万五千年前の神に向き合うことであり、
悠久の太古から未来永劫に続いていく宇宙の真理に向き合うことでもあるのです。

天照大神(あまてらすおおみかみ)については天の岩戸籠もりのご神業が伝えられています。
幣立神宮で旧暦十一月八日(平成十四年は十二月十一日)に行われる巻天神祭の祭典は、
天照大神の天の岩戸からのご帰還を祝う日です。日向風土紀に「天暗く、昼夜わかず、人道を失い、
色別き難しかりき」とありますが、これは明らかに阿蘇の噴火による降灰現象を示しています。
天照大神はこの天変地異を鎮めるために天の岩戸に籠もられたのでした。

火山活動は農業に潰滅的な打撃をもたらします。
ところが幣立神宮の森だけは被害を免れるオアシスでした。
周辺を豊かな湧水池に囲まれ、棚田水田の原初的姿が今に伝えられています。
神々はここで穫れる籾(もみ)を分け与えて民人を救済していきました。
天孫降臨の主題がここにあります。天孫降臨とはこの籾をもって新しい文化、
稲作文化を普及していくことにあったのです。神武東遷もその流れの中に見ることができます。

ところで今の蘇陽町、清和村、五ヶ瀬町、高森町一帯はかつて知呆(ちほ)郷と呼ばれていました。
この地名の由来を日向風土紀では「皇孫の尊、千穂の稲を搓(ても)みて籾と為して、
投げ散らしたまひければ、即ち、天開晴(そらあか)り、日月照り光(かがや)きき。
因りて高千穂の二上(ふたがみ)の峰と曰(い)ひき。
後の人、改めて知鋪(知呆)と號(なづ)く」と記しています。
高千穂とは知呆にほかならず、その知呆郷の中心に位置しているのが幣立神宮というわけです。


 太古の波動を体感

阿蘇開拓の主、健磐竜命(たけいわたつのみこと)は神武天皇の孫に当ります。
日向国から五ヶ瀬川に沿って三田井(高千穂)、馬見原を通って草部に入られました。
このとき一羽の白鳥が幣立神宮へ案内しました。
命は御幣(ごへい)を立てて奉祀されたので「幣立神宮」の名が起こったといわれています。
でも、それは偶然の結果といったものではありません。命はこの地が高天原・日の宮であることを知っており、
阿蘇開拓に情熱を注がれたのもこの"神代の神都"の備えを固めるためです。
ここに伝承の背後に秘められた歴史の真実があると思うのです。

幣立神宮には人智では計ることのできない不思議がいろいろあります。
八月二十三日の五色神祭には世界から人々が集います。
五色とは世界の人種を肌の色で表したもので、赤色・白色・黄色・黒色・青色の五つの色です。
幣立神宮にはモーゼの水玉、五色神面が奉斎されています。
詳しい由来は省きますが、五色神祭は世界の神々が集まって人類の幸福、世界の平和を祈る儀式です。
祭典は時代を超えて人々の霊的精神のなかに生き続ける根源的なものを呼び覚まし、
その波動は参列者の魂を深くゆさぶらずにはおきません。
五大人種が互いに認め合い助け合う和合の世界の実現は全地球的願望です。

私の話は神がかりと思われる方も多いと思います。それはそれで構いません。
ただ、人間は志を高くもって生きなければ存在する意味がありません。
幣立神宮の神域のなかに身を置くと宇宙の意志といったものを体感し、
人間どう生きるべきかを考えさせてくれることと思います。

幣立神宮・春木伸哉宮司




<参拝メモ>

熊本空港より60数キロメートル、高千穂へ向かう国道218号線沿いに鎮座している。
この神社、最近のパワースポットブームで人気を集めている神社で、参拝客も多い。
石段を数十段上った山の中腹にあり、境内は杉などの老木も多く、
厳かな雰囲気に包まれている。
本殿から東水神宮へ下る途中の裏山一面に「クサヤマブキ」の花が
盛りで、きれいだった。

(駐車スペース有)





   
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