<由緒> 当地は『風土記稿』に「正保の頃まで僅に七十石の小村なり」、 また「三八の日毎に市立」とあり、農耕の地としてより、後世、 日光と八王子の街道馬継の要所として栄えた所である。 社記に、「創立は武蔵野の開発と共に天照大神を祭祀し産土神と崇む」 とあり、口碑に神明社と号し地名を神明久保と呼んだとある。 正保十三年、新田義興は足利基氏を討たんとして矢口の渡しに戦死し、 基氏は当地の陣屋で義興の首を実検の上、当社の傍らに埋葬する。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ------------------------- ![]() 大正12年(1923)建立 流れ尾形狛犬 ![]() ![]() ![]() 新田義興公首塚 ![]() 十三塚 説明写真は下段に ![]() ![]() ![]() ![]() |
<参拝メモ> 入間市役所も近く、市の中心部に鎮座している。 境内に骨董市の幟が立っていたが、市街地だけに 大勢の人が訪れるのだろう。 もちろん参拝した日は平日で、人影も無く、 神域は蝉時雨に包まれていた。 (駐車スペースあり) |