<由緒> 昔、小田原の戦いがあった時に、岩槻城主は家来を引き連れて小田原へ 出かけて行った。しかし、戦いが長引き帰るに帰れなくなった。 その留守中に古川公方に攻められて岩槻城が落城してしまった。 その時、杉戸の武将が元荒川沿いに逃げてきた。たまたま渡し場に 船頭がいたので船で渡してもらい、この地の平林寺に逃げ込み、 僧侶の衣を着て坊主になり難を逃れた。一方追手は船頭を疑い、 武将を運んだかと詰問した。船頭は運んだことを否定したが、船に血痕が あったために嘘がばれて追手に殺されてしまった。 後に武将は自分のために殺された船頭のために碑を建てた。 それが船越明神となり、後に関白神社となった。 ・ また、別の口碑に「昔この辺りは海であり、村にはまだ神社がなかった。 そこで、神様が欲しいと村人が切望したところ、大水の時に 御神体が流れ着いたので、それを祀り込んだのが当社の起こりである」という。 『風土記稿』には「船越明神社 村の鎮守なり 宝蔵院持」とある。 「埼玉の神社 埼玉県神社庁発行」より |
------------------------- ------------------------- 大正12年(1923)建立 流れ尾形狛犬 |
<参拝メモ> 境内には先日に降った雪がまだ残っていた。 真っ白な雪を踏みしめての参拝も 心が引き締まり、悪くない。 (駐車スペースあり) |