身形社 みのかたしゃ |
![]() |
||
ご祭神 | ・宗像三神(むなかたさんじん) |
||
鎮座地 | さいたま市桜区神田56 | ![]() |
|
参拝日 | 2013.4.26 |
神田の地は、古くはこの地が伊勢神宮の神領であったことに由来し、 神領にかかわるとされる月讀社が村の鎮守であった。 当社はその末社のような形で祀られてきた社である。 在原業平が身の守りに筑前国(現福岡県)宗像神社の分霊を乞い、 東国に下った仁寿元年(851)八月、行き暮れて当所に宿を取り 暫時当社に参篭した祭、その分霊をこの地に鎮め祀り、 「身形神社」と称したことに始まるという。 さらに業平は、宝祚長久歌道の興隆を祈って持っていた筆を 地に挿したところ、その筆軸が葭竹に変化して、今日見られるような 「西湖の葭」の群落になったという。 江戸時代、当社は弁天社と呼ばれ、 真言宗の永福寺の境内に祀られていた。 「埼玉の神社」埼玉県神社庁より |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 在原業平の歌碑 「さしおくもかたみとなれや 世の末に 源氏栄えはよし竹となれ」 ![]() |
<参拝メモ> スーパーマーケットやマンションなどに囲まれ 境内は狭いが、よく手入れされている神社だった。 近在の崇敬も篤いらしく、買い物ついでの婦人や老人など、 結構参拝者が訪れていた。 (駐車スペースあり) |