<由緒> 当社は『風土記稿』中野田村の項に、曹洞宗明照寺の境内に「重殿権現社」と載り、 「村の鎮守なり、当社は古くよりありて重殿社と唱へしが、当寺中興の時 今の如く構の内となし、これをもて山号となせり、(以下略)」とある。 明照寺については、当地を領していた春日八郎是定が、側室の 月宮院慶明正の追福のために中興したと伝わることから、 当社は是定が没したという元和元年(1615)以前には、 既に祀られていたことがわかる。 創建の由来については重殿が蔵王殿の転訛とされることから、明照寺に かかわった修験との結びつきがあったと考えられる。 また、重殿は「水殿(スウドノ)に通ずるともいわれており、低地に開かれた 耕地が度々綾瀬川からの出水を被っていたため、川を鎮める神として 祀られたことが推測される。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
稲荷社 愛宕神社 庚申塔 |
<参拝メモ> 昨年、近くの野孫神社へ参拝した時もそうだったが、 この辺りは大規模開発中で、道が至るところで寸断され 迂回路などを通されるた、めなかなか目指す神社に到達できない。 当社へ参拝する前に、前回も道がわからず参拝できなった、 稲蒼魂神社に参拝する予定だったが、結局不可だった。 カーナビの指示では既には到達しているのだが、 それらしき神社は見当たらなかった。 どうやら、開発により何処かへ移されてしまったらしい。 この神社も、やがては大きな市街地の中に鎮座するように なってしまうのかもしれない。 (駐車スペースあり) |