<由緒> 亀久保の地名は慶長年間、鉢形城の落人三上山城守が当地に居を構えて、 村の北東にある出水流(いずる)の窪地が亀に似ているとして、 万代不易を願って名付けたという。 当地では、三上家と島田家がシバビラキ(草分け)といわれている。 現在地には、当社が祀られる以前から島田一家の氏神として稲荷社が祀られていた。 当社の創建は、天文一五年に川越夜戦で討ち死にした斉藤丹波少輔利道の後裔、 斉藤勝之丞が出家し、享保年間に別当木ノ宮地蔵院の住職となってからである。 斉藤家の守護神は、神明宮であるため、勝之丞が地蔵院の住職になるに当たり、 稲荷社社地に神明宮を勧請して本社とし、稲荷社は境内社となったが、 これも後に神明宮に合祀された。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 稲荷社 八坂神社 ![]() ------------------------- ![]() ![]() 神社に隣接して馬頭観世音 |