<由緒> 『明細帳』によれば、当社は大永五年(1525)に金窪城主の斎藤盛光が鎌倉の鶴岡八幡宮を 城内に勧請したことに始まり、武運長久の神として斎藤氏の崇敬を受けてきたが、 天正十年(1582)の神流川の合戦によって斎藤氏が敗退した後は、村民が 村の鎮守として祀るようになったものという。更に口碑によれば、元和年間(1615−24)に 中山道の開通により現在地に遷座したと伝えられ、金窪城跡の三〇〇bほどの東にある 旧地は「元八幡」と呼ばれている。 明治四十一年に字松原の無各社菅根神社を境内に移転し、続いて同四十四年には 字西金の村社丹生神社、その境内社三社、大字内の無各社七社の計一一社を合祀した。 合祀を機に当社は八幡神社の社号を金窪神社と改めた。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
拝殿天井画 ------------------------- ------------------------- 大正14年(1926)建立 立尾形狛犬 |
<参拝メモ> 旧中山道沿いに鎮座している。 迂回道が出来て、自動車の通行は多くはないが、周囲は市街地である。 社号額や、石柱も「八幡神社」となっているので、 「はちまんさま」と地元では呼んでいるようだ。 本殿の彫刻が素晴しいようだったが、御垣内で写真に撮れなかったのが残念。 (駐車スペースあり) |