<由緒> 当地は杉戸町の飛び地で周りを春日部市に囲まれている。また、当社の本殿は二間社で、 拝殿は中央を板壁で仕切り、向かって右が杉戸町本郷の鷲神社、左が春日部市小渕の鷺神社 となっている珍しい神社である。『風土記稿』の本郷村の項に「鷲神社 村の鎮守なり、 別当嶽之坊小渕村不動院の配下」とあるのが当社である。一方、鷺神社は『明細帳』に 「維新前ニ百余権現ト称シ」とあり、『風土記稿』小渕村の項に 「百余尊権現 村の鎮守なり、祭神詳かならず、別当宮本院、本山修験、 村内不動院配下」とある社である。この二社が今日見られるような形態となったのは いつごろか不明であるが、氏子年番所蔵の記録、嘉永六年(1853)六月二十五日の 『鷲大明神・百余尊・両鎮守御神酒代覚』に『「」弐百文法楽代三嶋院(嶽之坊の別称)。 弐百文法楽代宮本院」と、両社の別当二院が併記してあり、この時期には既に 一宮二社方式とでも呼べる形式をとっていたことが知られる。 一社を板壁により仕切る不自然さから生じたと思われる口碑に「昔小淵と本郷が喧嘩して、 社前中央を掘り返し炭を埋めて神社を二つにした」とあるが、戦後まで当社氏子区域である 裏本郷の一部と、春日部市小渕の一部では祝儀・不祝儀の交際があり、 何かの理由により二村共同で一社を造営したと考えたい。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
本殿 本殿前狛犬 ------------------------- ------------------------- 元時元年(1864)建立 流れ尾形狛犬 鷲神社の説明板 |
<参拝メモ> 日光街道を春日部市の小渕小入口から西へ入り、大落古利根川沿いに鎮座している。 以前、長野県と群馬県の県境に跨る、熊野神社を参拝したことはあるが、 一つのお宮で神社が二つ並んでいるのは初めてである。 確かに、社殿の中は板壁で区切られており、拝殿もそれぞれに祀られている。 鈴緒も、賽銭箱それぞれに置いてあり、珍しい神社だった。 ただし、 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」に記載されている鷲神社の住所、 杉戸町本郷1810は検索しても地番が無い。 (駐車スペースあり) |