<由緒> 寛永十六年(※1639)、 松平信綱は川越城に入ると領内武蔵野の開発に努め、 以来開発は進み慶安五年(※1652)輝綱の代には 大塚新田の牛窪佐右衛門・上奥富の志村治郎兵衛が今福に鍬を入れた。 治郎兵衛は武蔵野開発の総請負人で割元でもあり、 承応元年三月(※1652)上奥富梅宮天満宮を勧請し梅宮天満宮と称し、 菅原道真公と土地の神として大己貴命のニ柱を祀った。 当社は、土地開発に当たった志村氏が天候不順の回復を祈るため 祀ったと伝えるが、近年は祭神にちなみ学問の神様ともなっている。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 三峰神社 愛宕神社 ![]() 富士塚浅間社 ![]() 神楽殿 神輿庫 ![]() 昭和52年(1977)建立 炎尾形狛犬 ------------------------- ![]() ![]() |
<参拝メモ> 当社は、関越自動車道川越インターの手前、今福の地に鎮座している。 周囲は新興の住宅地となっているが、川越の郊外でもあり、田畑も多く 数日前に降った雪が融けずに残っていたりして、参拝には少々苦労した。 除雪されていない境内には、それでも、白梅の蕾が膨らみ始め、 春の近いことを告げていた。 (駐車スペースあり) |