<由緒> 当地は『風土記稿』によると明応ごろの開拓で、 石川権頭義俊というものが居城を構えて領主となっていたが、 羽生の城主木戸相模と争って敗れたためい一村ことごとく廃地となった。 その時、石川義俊の家臣に鳥海丹後という者があり、 上州に逃れたが、その後慶長のころになり、この、鳥海の子孫が 故郷である当地を再び開発し、更に村に神社を祀る。 村鎮守である鷲明神社二社をはじめ稲荷社二社・愛宕社二社 牛頭天王社・大神宮・八幡宮・熊野社などである。 このうち牛頭天王社が当社で、「明暦元年六月の勧請なり、 持明院の持」とある。一方『明細帳』には「寛永二年七月七日勧請 享保一五年正一位の神位を得たり」とあり『風土記稿』の記載と およそ五〇年ほどの隔たりがみられる。 明治初めの神仏分離により寺の管理を離れて、 社号を八坂神社に改め、祭神を素戔嗚命とした。 下って昭和一九年八月、村社となるに付き祭神名を 素戔嗚尊と改めた。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ------------------------- ![]() 1大正11年(1922)建立 流れ尾形狛犬 ![]() ![]() ![]() ------------------------- ![]() 安永4年(1775)建立 立ち尾形狛犬 ![]() ![]() ![]() |
<参拝メモ> 県道46号線、利根川に架かる埼玉大橋を渡ると すぐ左手、橋下に鎮座している。 北川辺の神社には古い狛犬が多いが とくにこの神社には江戸期と大正時代の狛犬がいる。 ただ、大正時代の阿狛の台座が傾いてしまって 狛犬が少し座り辛そうなのが気の毒だった。 (駐車スペースあり) |