昔、このあたりの長者の養女に、寅子という絶世の美女がいた。 近辺の男たちは、寅子を是非嫁にしたいと 競って長者の下へ通ってきたという。 寅子は男たちの争いのもとになるのに耐えかね、 とうとう自害してしまった。 寅子は、自分が死んだら、 自分の肉を男たちに食べさせてあげてほしいと、 遺言したという。 長者はその遺言を守り、寅子の腿肉を膾(なます)にし 男たちに振る舞った。 男たちは食べた後これを知り、愕ろき悔やみ、 祠を建て、霊を弔ったという。 子膾神社由来 |
<参拝メモ> 実を言うと、この神社への参拝は、 わが娘を膾料理にして他人に振舞うという、 何やら恐ろしげな由来に、 少し躊躇していた。 今回、岩槻の神社巡りをして 家への帰り道筋にもなるので 意を決して参拝した。 神仏混交の名残だろうか 最近立て替えられたらしいお堂は 薬師堂となっていた。 傍らの小祠が、子膾神社らしい。 開けた田園の真ん中にあり、 おどろおどろしい名前とは無関係なように 周囲は明るく静かだった。 (駐車スペースあり) |