<由緒> 当社の鎮座する境地区は星川(見沼代用水)の右岸に位置する。 古くは境村を二分して上分・下分と私称し、上分の鎮守は八幡社 下分の鎮守は天神社であった。 当社の創立は、社記に「当社は今古老の口碑に伝て曰ふ宝暦年間福島家に 釈白心庵主なる者あり該宅地内に勧請ありしが該庵主回向をなし本村に於て 寂するに際し遺言して曰く本村下分に鎮守無きを以て之を祭れと茲に於いて祭れり 以て挙村民之を鎮守とし崇敬せり」とある。 また『明細帳』に「素ヨリ当村鎮守ニシテ去ル宝暦年中旧地頭藤堂肥後守良由朝臣 深ク信仰セラレケルヲ以テ社殿再建アリ、明治五年村社ニ申立済、明治四十三年 二月二十三日同村大字同字同無格社熊野社字同無格社稲荷社字上手無格社 神明社同無格社厳島社字同無格社八坂社字同台無格社厳島社同無格社 愛宕社字前無格社八幡社字同無格社久伊豆神社ヲ合祀ス」とある。 字前の八幡社は上分の鎮守であったために、合祀後は、�覆屋内に天神社・八幡社 の二社が並べて祀られ、それぞれ三五㌢の「天保十ニ辛巳歳八月吉日之彩色□」 と記す天神座像とニ三㌢の八幡大明神像を安置する。 また天神社の社殿前面には、随身像が置かれている。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
愛宕大神 ------------------------- ------------------------- 昭和9年(1934)建立 流れ尾形狛犬 |