<由緒> 当社は『風土記稿』栗原村の項に「多聞院 新義真言宗、葛飾郡内国府間村正福寺末、 明王山と号す、本尊不動を安ず、本堂の軒に、安永年中(1772−81)鋳造の 鐘をかく、諏訪社 村の鎮守なり、稲荷社 阿弥陀堂」と記されており、 江戸期に多聞院の境内に村の鎮守として祀られていたことがわかる。 中略 明治初年の神仏分離により多聞院の管理下を離れ、明治六年に村社となった。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
------------------------- ------------------------- 文政3年(1820)建立 子連れ流れ尾形狛犬 |
<参拝メモ> 久喜市の東部、幸手市との境目、多聞院というお寺の隣に鎮座している。 訪ねたとき、お寺はすぐに判ったのだが、神社への入り口が見つからず 少々苦労した。道を迂回し、細い参道を発見。ゲートボール用の運動場の 駐車場に車を置かせていただき、農道のような参道を、50bほど歩いて参拝。 (駐車:運動場駐車場) |