<由緒> 松永の開発について、古老は「はじめは草加源之丞・村上儀平・倉橋忠兵衛の三人が 開拓を行い、次いで永正二年(1505)に紀伊國から郷士鈴木三郎兵衛慶長という者が この地にやってきて村を開いた」と伝えている。 更に古老は、「草加・村上・倉橋の三人を祀ったのが現在当社の境内にある地神尊で、 その後、鈴木三郎慶長が、開村の年の十一月に、古くから祀られていた土地の神である 地神尊の傍らに氏神として熊野神社を奉祭し、次いで村内に星宮社・香取神社・天神社を 相次いで創建した」とも伝えている。 熊野神社をはじめとする四社は、『風土記稿』によれば、いずれも真言宗の宝蔵院持ちの 社であり、熊野神社が村の鎮守であった。 当社は、この四社のうちの星宮神社が母体となっており、幕末に香取神社が合祀されて、 星宮香取神社合殿と呼ばれるようになり、明治六年には村社となった また、同四十三年には、熊野神社・天神社・稲荷神社の三社を境内に合祀した (ただし稲荷神社は窮地に復している)。その後、大正三年に社名を 松永神社と改め、現在に至っている。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
日枝神社 天神 秋葉 一つ置いて 天神 稲荷 熊野大権現 地神尊 ------------------------- ------------------------- 文化7年(1810)建立 立尾形狛犬 |