<由緒> 『明細帳』には「往古ヨリ当村鎮守ニ勧請シテ之アリ元禄十五年(1697)検知以前ヨリ 除税地トナリ、年月日不詳社殿再建其大破二及ヒ天保十三年(1842)四月中 氏子尽力シテ猶再ヒ建立、明治六年五月十六日村社トナル」と当社の由緒が記されている。 この文中に見える天保十三年の再建については、境内の石灯籠の銘文にその経緯が 記されており、それによると、当社の境内は低地で、しばしば水害を被っていたので、 この年に村人が力を合わせて盛り土を築き、その上に社殿を建立したとのことである。 現在の社殿はこの時に建てられたもので、万延元年と昭和の初めの二回、修理が施されている。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
社殿 本殿内陣に納められている 八幡大明神像(像高39センチメートル) 稲荷社 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 昭和15年(1940)建立 炎尾形狛犬 ------------------------- 阿形の口が欠けているのが惜しまれる 近くをJR東北線が通っている。 |
<参拝メモ> 地区の南を流れる中川は、通称を島川といい、昔はもっと川幅があり、川の中には大きな島があった。 島には家が四五軒あったが、河川改修により島が削り取られることになった時、 島の住民は川岸の土手の傍らに移る代わりに、島川という名を川に付け、 川の中に島があったことを後世に伝えることを代官に約束してもらった。 それが島川の名の起こりであり、島にいた人が移ったことから、この地も島川と 呼ばれるようになったといわれている。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より 旧栗橋町島川に鎮座している。 鷲宮地区に境を接し、周囲は田園地帯である。 (駐車スペース有) |