久喜市高柳・香取神社>埼玉の神社>古社巡拝

高柳・香取神社
たかやなぎ    かとりじんじゃ

 ご祭神


 
 鎮座地 久喜市高柳2512
 参拝日  2014.9.03

<由緒>

当社の創建を、口碑と社蔵の棟札からうかがうと、次のようになる。
まず、口碑には、大字高柳字神取前に鎮座していた香取神社の社殿が、
天明6年(1786)に起きた中川の氾濫で、当地の松林まで流されてきた。
しかし、この社殿は、元の地に戻されず、当地で高柳村の総鎮守として祀られ、
村人から「大香取」と呼ばれるようになった。これが当社である。
一方、字神取前の氏子は、社殿流失後、しばらく社殿を設けなかったが、
悪疫が発生したため、改めて香取大神の神徳を仰がんと、元の地に祠を建て、
これを「元香取」と呼ぶようになったという。
寛政8年(1796)の棟札には、寛政元年同二年の両年にわたり、氏子が東西五間、
南北一〇間、高さ六尺の規模で土を盛り、この上に本社と拝殿を新築したとある。

「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より















雷電社                           浅間大神
-------------------------

-------------------------
嘉永4年(1851)建立 両子連れ流れ尾形狛犬





<参拝メモ>

当地は元来、陸稲・大麦・小麦・大豆などを生産する畑作地帯であったが、昭和35年に
行われた農家の増収を目的とする土地改良事業により、水田地帯に一変した。
畑作地帯であった当時の水の供給源は、畑の傍らに掘った水だけであった。
このため、日照りには苦労することが多く、境内にある群馬県板倉町の雷電社から
勧請したと伝える雷電社も、このような背景から祀られたものという。

「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より

(駐車スペース有)





   
TOP
  INDEX



inserted by FC2 system