<由緒> 吉羽の中でも、一番の高地に、村の鎮守として創建され、吉羽村及び 隣接する西村の人々によって祀られてきた当社は、元来は 三社大明神と号していたが、神仏分離を経た明治三年、社名を現行の 千勝神社と改め、同六年に村社となった。そのため比較的若い人や 戦後に他所から転入して来た人は、当社を「千勝様」と呼んでいるが、 年配の人は「三社様」と呼んでいる。こうした経緯にも示されているように、 当社は、実際は千勝神社・八幡神社・鷲宮神社の三社合殿なのである。 『風土記稿』吉羽村の項の「千勝八幡鷲宮合社 三社合祀ゆへ三社大明神とよぶ、 村中の鎮守なり、密蔵院持」という記事は、このような当社の祭祀状況を 端的に示しており、本殿の内陣には今もこの三社の神像と宝暦十三年 (一七六三)十二月に神祇官領吉田家から受けた三社の幣帛が安置されている。) 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
稲荷神社 雷電宮 妙見宮 八坂神社 ------------------------ ------------------------- 文政12年(1829)建立 流れ尾形狛犬 |