熊谷市高本・高城神社>埼玉の神社>古社巡拝録
高本・高城神社 たかもと たかぎじんじゃ |
ご神紋 十六菊 |
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ご祭神 | ・ | |
鎮座地 | 埼玉県熊谷市高本679 | |
参拝日 | 2015.3.12 |
<由緒> 当社は、延喜式内の神社と伝えられている。 鎮座地に移動があり、『明細帳』は「旧社地ハ、村ノ北方ナリシガ 村民居住ノ後ノ方ニ 当タルタメ現在地二鎮座スル」と記載している。また、昭和四年に、当時の村助役である 田所泰造の記した『延喜式内高城神社誌』は「和田吉野川の流れに近い中街に 古く鎮座していたが、流れが変わり当社は下流の中ノ森(高城街)に流された。 これを神慮であるとして以来この地に祀られる」としている。 いずれにしても、この移転の時期は不明である。昭和四十五年に、中ノ森は 河川改修地域となり移転を迫られた当社は、旧社地である中街の 現在地へ再び遷座している。 明治初め、当村名主芳三郎が浦和県社寺改役に提出した「武蔵国大里郡高本村三社」に、 相上村吉見大神の社家徳永豊州が文久三年(1863)に当時の旧社地に接して 家を建てた時、地中から「无邪志国・高城神社」とある古代の銅製の鈴を 見付けたことを書いている。 この鈴は社宝として現存し、式内社を証明する一つとされている。 先に述べた『延喜式内高城神社誌』は当社の奉仕者について、古代から高木氏が仕え、 始めは神主、後に修験正覚院となる。高木氏は、徳治二年(1307)に幡羅郡長井太田に移り 太田城主高木内蔵之助元信となる。下って元和四年(1618)に正覚院に 大和国初瀬の小池坊から地蔵院を移し、明治初期まで当社の別当としたとある。 社宝の鈴 (埼玉の神社 埼玉県神社庁より) |
<参拝メモ> 田園の中に、ちょこんと鎮座する小さな神社だが、神紋も十六菊の式内社である。 同名の神社が、熊谷市内宮町にもあり、式内社を謳っている。 どちらが本来の式内社であるか、軽々に判断することはできないが、 熊谷市内の方が社殿も大きく、町中にあるだけに信仰を集めているようだが、 現在の隆盛だけを見て判断するのは難しい。 由緒書きを見ると、こちらの神社の方が歴史的に古いようにも思えるのだが。 (駐車路駐短時間) |
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