<由緒> 当社は、大昔利根川の流れの中にあったが、やがて流路が変わり、 自然堤防を形作った所である。当社の古い祭神があった弁財天は、 もともと河川の神格化といわれ、当社創建も水と深くかかわるものであろう。 『風土記稿は「当村 弁財天の古社有しより村名起こると云」と載せ、 更に当社を弁財天社として、「村名なりしを見れば、古社なるべけれど伝を失う」と、 創建の古いことを記している。 当社の創建は、『風土記稿』が述べるように古いものであり、 大昔は水の神、下っては養蚕守護の神として、長く氏子の崇敬を集めてきた。 社殿の屋根を飾るリアルな瓦の蛇形は、これを端的に物語っている。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
<参拝メモ> 『大里郡誌』に「悪鼠除の霊験ありと云ひ、信徒は絵馬を拝受して、之を倍加して 奉賽す。毎年春陽、養蚕期に参詣祈願者最も多し」と、養蚕が盛んであったころの 信仰について記している。「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」 参拝を終えて、屋根を見上げたら、 瓦に蛇の飾りが付いていたので驚いたが、由緒を調べて納得。 鼠は養蚕にとっては害獣である。 今は養蚕は衰退してしまったが、こんなところにも 地域の歴史を物語るものが残されているのだ。 (駐車スペース有) |