<由緒> 『大里郡神社誌』は、当社の由緒を、武蔵七党横山党の成田氏が、 天喜から寛治(1053−94)にかけてのころ、当地箱田郷を領有し、 氏神である賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)・賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)を 祀ったのが始まりで、延徳二年(1490)成田親泰が神田を寄進し、慶長四年 (1599)には、一〇石の朱印地を受けた、と記している。 (中略) 昭和二十年八月十四日の晩、当地に空襲があり、各所に火の手が上がった。 このとき、当時の神職茂木六郎は、本殿の神体と末社皇大神宮の神体を かばいつつ、一心に祈念したところ、突然夕立が起こり神社は助かったという。 以来、「雷電様のお陰」といわれて、厚く信仰されている。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
末社皇大神宮 天神社 塞神 神使石像 (牛天神) 三峰大神 大山 三峰大神 大山祗大神 ------------------------- ------------------------- 昭和9年(1934)建立 立ち尾形狛犬 台座 降魔破邪 |