<由緒> 『風土記稿』は、当社を「山王社 村の鎮守にて、稲荷を合殿とす長昌寺」と載せる。 また、長昌寺は、天文元年(1532)に成田氏に従い武川の合戦にで討死にした 山田弥次郎の菩提追福のために、その父山田伊平が、弥次郎の領地であったこの地に 草創した寺院である。当社の創建背景には、長昌寺の僧とのかかわりが考えられるが、 明らかにできない。内陣には『大里郡誌』にある「御鎮祭当時の御物と伝える 天狗と狐の仮面」のほかに、三体の神使石像(猿)を安置しているが、これは 当社の安産信仰にかかわる奉納品であろう。 当社の信仰について『大里郡誌』は「古来安産の守護神として礼拝者多く其他凡て 婦女子の疾患に特殊の霊験ありて奉賽の為旗幟の奉献頗る多し」と記している。 今も氏子の間では「当社は女の神様で、お産を軽くしてくれる有り難い御利益がる」と 語られている。 神使石像(猿) 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
八坂神社 奉安されている神輿 |