熊谷市上奈良・豊布都神社>埼玉の神社>古社巡拝

豊布都神社
とよふつじんじゃ

丸に並び矢
 ご祭神
武甕槌命(たけみかづちのみこと)

 
 鎮座地 熊谷市上奈良1286
 参拝日  2014.9.18

<由緒>

当社は元来御霊社と号していた。
『風土記稿』には「御霊社 村の鎮守なり、社内に本地仏愛染を安ず、
慶安二年(1649)八月廿四日、当社領及別当寺とも合わせて十石の
御朱印を附せらる(以下略)」と載せられている。
創建の年代は明らかでないが、その背景にはかって地内に
荒川の川筋があったことが挙げられよう。
往時の人々は、河川の氾濫によって生じる疫病などの疫災を怨霊の祟りー
御霊によるものと考え、御霊という音に近い鎌倉権五郎の怨霊を祀って
その祟りを鎮めようとしたことが推察される。
ちなみに、当時の荒川は当社と別当東光寺の間を横切る形で東西に流れ、
そこには東光寺管理の「御霊の渡し」と呼ぶ渡船があったと伝える。
本殿には、像高三〇aの座像が奉安されており、「権五郎尊像 
元禄十二己卯天(1699)五月吉祥日 建立東光寺恵旭三十二歳」の墨書が見られる。
明治初年の神仏分離により本地の愛染明王は東光寺に移され、
明治五年に祭神を武甕槌命に改め、豊布都神社と改称した。
豊布都とは、武甕槌命の別称で、鎌倉権五郎の武勇にちなんだものと思われる。



鎌倉権五郎像

「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より















鬼瓦

金刀比羅社

八坂社                      八幡社
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平成4年建立 炎尾形狛犬
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<参拝メモ>

熊谷市北東部、国道17号線深谷バイパス沿いに鎮座している。

上奈良の鎮守として祀られた当社は、その祭神から武神としての信仰を集めたといわれ、
『大里郡誌』にも「古来軍人の信仰尤も厚く日清日露の各役に於て氏子中の出征者は曾て
一名の戦死者も出さざりきまた眼病に悩むものは弓矢を作りて奉賽せば即時に
平癒すべしとの信仰もありて遠近の崇敬多し」と記されている。
当地では、正木の影から放った矢が鎌倉権五郎の目を射ったとの伝説により、
垣根に正木を植えてはならないといわれている。

「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より

(駐車スペース有)





   
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