<由緒> 当地の開発は大島・加畑・倉波・見富・矢部など八軒によって 行われたといわれ、いずれも十八、九代を数えることから、その時期は 中世末期までさかのぼると考えられる。 当社は、古くから「向の神明様」と呼ばれている。創建に関する伝えはないが、 矢部一家や大島一家といった旧家によって祀られてきたことから、 村の開発の当初に、これら旧家の先祖たちによって創建されたものであろう。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 三笠山神社 御嶽神社 八海山神社 ![]() 稲荷社 |
<参拝メモ> 平成十年発行の 「埼玉の神社・埼玉県神社庁」の写真を見ると 当社周辺は畑地であり、神域もうっそうとした木々に覆われている。 開発の波によって、いかに環境が激変したか窺い知れる。 社叢の木々は切り払われ、周辺は住宅地になっても、 神社は、人々の心の拠り所として、永遠に残ってゆくのだろう。 (駐車スペースあり) |