<由緒> 社伝によると、当社は寛文三年(1663)に京都の八坂神社から 勧請したという。古くから諸人の出入りが多く、度々疫病が流行したことから、 その退散を祈って奉祭したものである。 『風土記稿』は、地内の神社について「熊野社 村の鎮守なり、天神社、 天王社、以上は村民持」と記しており、熊野社が鎮守であったことがわかる。 しかし、明治初年の社格制定では熊野社に代わって村社に列した。 この鎮守の交替は、当社が疫病退散という熊野社よりも切実な信仰から 祀られていたことがその要因であろう。 明治四十年に安養寺字の天神社と住吉社を合祀した。 更に、昭和四十二年にやや北方の現在地に遷座した。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |