簗瀬神社 やなせじんじゃ |
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ご祭神 | ・日本武尊(やまとたけるのみこと ・天之狭霧神(あめのさぎりのかみ) |
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鎮座地 | 長瀞町矢那瀬1380 | ![]() |
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参拝日 | 2013.6.08 |
当社は矢那瀬上分の鎮守として祀られる。 日本武尊の東征の伝えにより、尊の徳を追慕する里人が 弘安年中(註1278-88)に奉斉した社であるという。 更に、鎮座地矢那瀬は、山と川が複雑な地形をなしているため、 濃霧がしばしば生じ、かっては交通の難所の一つに数えられる ほどであったことから、正安年中(註1299年-1301年)、天之狭霧神を 当社に併せ祀り、霧明神社と称したと伝えられる。 (中略) 昭和22年に行われた文部省の調査によると、当社の本殿及び 拝殿は、その建築様式から、室町初期の風を残す社殿であることが 判明した。とりわけ拝殿は、東西の割り拝殿という、極めて珍しい 形式のもので、比較的新しいところでは群馬県利根郡片品村の 武尊神社に同じ形式の拝殿がある。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
![]() ![]() 拝殿 参道の左右に板敷きの拝殿がある ![]() 本殿 覆い屋の中 ![]() ![]() ![]() 稲荷神社 三社神社 ![]() 天手長男神 |
<参拝メモ> 白鳥神社参拝後、国道140号線、いわゆる彩甲斐街道に戻り 熊谷方面に向かうと左手矢那瀬地区に鎮座している。 上記説明にもあるように拝殿が両サイドに分かれており 真ん中を本殿に向かって進むようになっている。 初めて見る珍しい形式の拝殿だった。 自転車で通りかかった土地の老人に尋ねたところ、 何故こういう形式になったかは不明だが、以前は 村芝居などがこの拝殿を使って行われたそうだ。 昔は茅葺の屋根で、伊勢湾台風のとき、境内の大木が倒れ 拝殿が壊れたので、今のようなトタン屋根になったということだった。 「矢那瀬は好いところだよ」 老人はしきりに土地の自慢をしていた。 確かに風光明媚なところではある。 (駐車スペースあり) |