社殿によると、当社は寛永三年(1626)に観定僧都により 地内の真言宗慈眼寺の境内に勧請されたことに始まる。 観定僧都とは慶長年間(1596−1615)に慈眼寺を開基した僧である。 その後、享保十年(1725)に至り、自然堤防上の慈眼寺境内から 耕地を隔てた高台の現在地に遷座した。 『風土記稿』には「小田原神社、村の鎮守なり、 祭神詳かならず。慈眼寺持」と載る。 「埼玉の神社」埼玉県神社庁より |
境内に植えられた招霊(おがたま)の木 招霊の蕾↑の写真は多聞院(所沢市)にて撮影 |
<参拝メモ> 当社は前面に広がる水田を見守るかのように祀られている。 社名は、小田原すなわち平野部の湿田に坐す神を 表すと考えられる、 恐らく平野部を耕地として開くに当り、その成就を願って 慈眼寺境内に祀られ、その後鎮守として崇敬されるようになると、 現在地が鎮座地として選ばれたのであろう。 『明細帳』で祭神を国土経営の神である大己貴命としているのは、 そうした経緯を物語る。「埼玉の神社」より 狛犬も居ないし、これと言って特徴のある神社ではないが 家への帰り道、名前に惹かれて参拝。 東側には田圃が広がり、好天ならば石段に腰を下ろし、 ゆっくりと風景を眺めていたい・・そんな神社だった。 (駐車スペースあり) |