<由緒> 当社は明治四十九年に上横田・下横田・奈良梨・高谷の五つの大字知地内にあった 一一社を奈良梨の諏訪神社に合祀し、当時の村名を採って社名を八和田神社と改めて成立した。 この合祀の中心となった諏訪神社の由来について『風土記稿』は次のように載せている。 「相伝ふ当社は何の頃にや、知野鈴木など氏とせるもの、信州より来たりて勧請せしと云、 思ふに村民仙右衛門が先祖は、熊野より出て鈴木兵庫助と号し、伊豆国に下り、 延徳年中(1498-92)より北条家の旗下に属セリ、其後子孫世々当所に住したれば、 恐くは此人の子孫など勧請せしなるべし、されど系図に載る処、信州より移りしことは見えず、 古は此辺十五ヶ村のの鎮守と崇めし大社にて、いちのとりいは須賀村にありて、二の鳥居は 中爪村に立りし由いへど、其村々にてしか云伝ふることなれば覚束なし、 社内に延徳及弘治の銘を彫たる鰐口を掛たり・(以下略)」 鰐口 「埼玉の神社 埼玉県神社庁」より |
天神社 春日社 住吉社 招魂社 厳島神社 ------------------------ ------------------------ 大正15年(1926)建立 子連れ半身構え形狛犬 ご神木杉 |
<参拝メモ> 嵐山の杉山八宮神社から、埼玉県道296号線を北上して小川町へ。 この道は、中世期は鎌倉から信州へ通じた鎌倉街道の上道(かみつみち)であった。 当社の鎮座する所は、戦国期には伝馬宿駅として栄えたという。 参道沿いの、銀杏の大木がきれいに紅葉していた。 秋の日差しの明るい境内では、近くの保育園の園児たちが賑やかに遊んでいた。 (駐車スペース有) |