嵐山町将軍沢・日吉神社>埼玉の神社>古社巡拝録

    日吉神社
      ひよしじんじゃ  

 ご祭神 
大山咋命(おおやまくいのみこと)

 鎮座地 埼玉県嵐山町将軍沢425
 参拝日 2016.4.06
<由緒>

当社の創建の年代は定かでないが、江戸時代には山王社と呼ばれ、
明光寺の持ちであった。
明光寺は、寺伝によれば、延暦十年(910)三月五日、
坂上田村麻呂将が東征の際、当地に寄った時に、一堂を建立したことに始まり、
元弘・延元のころ(1331-40)には兵火にかかり塔堂を焼失したという。

明光寺が天台宗の寺院であることを考えると、当社は、その寺鎮守として
創建された可能性もある。
将軍沢の地名は、村内字大宮に坂上田村麻呂(一説には藤原利仁)を祀る
大宮権現社があることに由来するといわれる。
『風土記稿』によれば同社は、藤原利仁が当地を通った時に腰かけて休んだ
「高さ三尺許の塚上」にあったが、神仏分離により将軍神社と改称し、
明治七年当社の境内に移された。



「埼玉の神社 埼玉県神社庁」より













将軍神社



神明社                        山の神社

坂上田村麻呂将軍碑


<参拝メモ>

当社は、先に参拝した岩殿観音より笛吹峠と呼ばれる
標高80メートルの峠を越え、
かって鎌倉街道上道と呼ばれた、道沿いに鎮座している。

笛吹峠は、鳩山町と同県嵐山町の境にある
正平7年(1352年)2月25日、新田義貞の三男新田義宗らが
宗良親王を奉じて武蔵野の小手指原で足利尊氏の軍勢と戦ったが、
最終的に戦いの決着がついたのがこの峠であった。
敗れた義宗らは越後国に、親王らは信濃国に落ちていき、
尊氏はこれ以後関東を完全に制圧していった(武蔵野合戦)。
激戦が行われた為か、道路工事をした際に人骨が大量に出土した。
上記の戦いでの際、折からの月明かりに宗良親王が
笛を吹いたことから命名されたという伝承がある。
(wikipedia)より

(駐車スペースあり)



     
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