<由緒> 『風土記稿』峰岸村の項に「氷川社 辻村・上下宝来村・当村四ヶ村の鎮守なり、 善福寺の持』と記されているように、当社は、元来は氷川社と称しており、 明治六年に峰岸村の村社になった。その後、明治四十年七月四日に 大字宝来字上横手の村社神明社と同境内社の稲荷社の二社を合祀したことにより、 同年十一月五日に社号を穂積神社と改めた。 ちなみに、この「穂積」という社号は、氏子区域である宝来・辻・峰岸の 頭文字を採ったものである。 (さいたまの神社・埼玉県神社庁発行より) |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ------------------------- ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
<参拝メモ> いつも通る道すがらに鎮座しているのだが そのうちに参拝しようと思っているうちに 時間が経ってしまった。 狛犬がいるのは分かっていたのだが つい先を急ぐあまり後廻しになってしまっていた。 車で見ていたのより広い感じの神社だった。 (駐車スペースあり) |