幸手市・中野神社>埼玉の神社>古社巡拝録
中野神社 なかのじんじゃ |
ご神紋 左三つ巴 |
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ご祭神 | ・経津主神(ふつぬしのかみ) ・大山咋神(おおやまくいのかみ) |
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鎮座地 | 埼玉県幸手市中野827 | |
参拝日 | 2015.4.02 |
<由緒> 中野には本田上・本田↓・新田・前新田・仕出の六耕地がある。 このうち、開発の早かった本田上以下の三耕地では香取社を、後で開かれた 新田以下の三耕地では日枝社を祀っていた。 日枝社は『風土記稿』に「山王社村の鎮守なり、薬王院持」とある社で、 その創建については、新田の開発に当たり、太田道灌が江戸城を築くに際して 日吉山王権現を鎮守として鎮守として奉斎した故事にあやかろうとして 勧請したものと伝える。 現在、本殿には山王七社権現の一つである小比叡山王地主権現像(全高二九a) が安置されているほか、本殿の傍らには「日枝神社」と刻む石祠が置かれている。 一方、香取社は『風土記稿』に薬王院の境内社として載り、その草創は 同院とのかかわりが考えられる。 薬王院は幸手宿の宝持寺第八世益運養州が開山し、 延宝五年(1677)に入寂したと伝える。 明治初めの社格制定に際しては、従来、村の鎮守と考えられてきた 日枝社に代わって、比較的規模の大きかった香取社が村社となった。 更に大正四年に日枝社を合祀し、社号を中の神社と改め、今日に至っている。 小比叡山王地主権現像 (埼玉の神社 埼玉県神社庁より) |