幸手市・吉野神社>埼玉の神社>古社巡拝録

  吉野神社(みょうじんさま)
よしのじんじゃ
 
ご神紋 左三つ巴
 ご祭神  吉野の前(よしののまえ)
 鎮座地 埼玉県幸手市吉野230
 参拝日 2015.4.02

<由緒>

『埼玉県伝説集成』に、当社の創建について次のような話がある。
戦国時代の天文五年(1536)、一色氏の居城であった幸手城は、
上杉朝定の攻撃を受けて落城し、城主直俊は討死にした。
この時、直俊の夫人吉野の前は、一子直春の後を追って、乳母の安の戸と共に
落ちのびたが、その途次、この地の蕎麦畑の中で流れ矢に当たって命を落とした。
吉野という地名は、この吉野の前を悼んで付けられたものといわれている。
一方、、乳母の安の戸も吉野の前を追って自刃し、安戸(現大字戸島の一部)に
その名を残している。ところがその後、jこの地の子供が相次いで病気になった。
そこで、これを非業の死を遂げた二女の祟りと感じた村人が、その霊を慰めるために
社を建立したのが当社の始まりで、蕎麦畑で落命した石野の前を祀ることから
蕎麦嶽大明神と名付けられた。
当社の本殿は二間社であり、天保二年(1832)の棟札によれば
蕎麦嶽大明神と今宮大明神(万延二年の社号額では卯之宮大明神)の
合殿とされているが、いつごろから合殿となったかはわからない。
江戸時代には地内の宮内寺の持であったが、神仏分離によって
その管理を離れた当社は、その後、明治六年に村社となり、同三十九年から
四十五年にかけて青竜社・厳島社。八幡社・天神社の四社を合祀し、
更に大正十二年に社号を吉野神社と改め、現在に至っている。


(埼玉の神社 埼玉県神社庁より)












社号額
     天満宮           卯野宮大明神 蕎麦嶽大明神




宇賀神 庚申 弁財天女 ○ 稲荷
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平成20年建立 炎尾形狛犬
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<参拝メモ>

加須市と幸手市を結ぶ、埼玉県道316号線沿いの、
田園地帯にに鎮座している。
北側には圏央道が走り、幸手ICも近いので
将来は環境が変わってしまうかもしれない。


(駐車スペース有)



     
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