木曽義仲は当地に生まれ、幼いとき父が殺されたため 乳母の郷里木曽で育ち、十五歳のとき当地に戻り 、結婚して一子義高をもうける。 (中略) 義高は鎌倉に住み、頼朝の娘と結婚する。 しかし義仲が朝廷の不興をかい、粟津の原で討ち死にすると 義高も賊の一味と呼ばれ、当地に隠れたが、やがて追っ手に討たれ 当所に葬られる。このとき義高の妻の嘆きを哀れんだ 母親(北条政子)は義高の墓所に清水八幡を造営し、 神田を奉納して菩提を弔った。 以来近隣守護の社として崇敬される。 「埼玉の神社」埼玉県神社庁より |
------------------------- ------------------------- 大正9年(1921)建立 流れ尾形狛犬 境内社 新田義貞駒繫ぎの松 |
<参拝メモ> この神社に参拝して、社殿に施された 立派な彫刻に驚いた。 垣根に阻まれてよく見られないのは残念だが 建立当時は、息を呑むほど見事なのではなかったかと 思われる。 (駐車場あり) |