草加市金明町旭神社>埼玉の神社>古社巡拝録

           旭神社(ひかわさま)
あさひじんじゃ
 
 ご祭神 

 鎮座地 埼玉県草加市金明町1332
 参拝日 2015.7.31

<由緒>

慶長年間(1596−1615)に代官頭伊奈備前の守忠次が、
上流の小針領家(桶川市)に備前堤を築いたことにより、新田開発が進められ、
慶長年間に清右衛門新田、元和年間(1615−24)に長右衛門新田が開かれた。
更に、寛永五年((1628)に関東郡代伊奈半十郎忠治の家来
井田伝右衛門による排水路(伝右衛門堀)の開削と、
同七年(1630)の伊奈忠治による綾瀬川改修・新綾瀬川開削によって、
九左衛門新田・新兵衛新田・金右衛門新田・善兵衛新田が相次いで開かれ、
こうして氏子区域すべての村々が成立した。
これらの村々には、それぞれに神社が祀られていたが、当社の元となったのは、
金右衛門新田の鎮守であった氷川神社である。
明治二十二年に、この九か村を合併して新田村が成立したため、
政府の合併政策下では当社を新田村の村社とすることになり、同四十年に
村内の旧村ごとの村社七社、無格社一八社、各境内社一一社の計三六社を
当社に合祀し、社号を氷川社から旭神社と改称した。
当社は合祀によって新田村の村社となり、祭りには大字(旧村)ごとの総代が
参列するようになったが、この合祀は書類上のもので、
合祀の対象となった神社はそのまま残され、祭りも続けられてきた。
従がって、金明町以外の氏子は、当社の氏子というよりも、
昔ながら祀り続けてきた地元の社の氏子であるという意識の方が強い。
そのため、現在も当社は「旭神社」というよりも、金明町(旧金右衛門新田)の
鎮守としての「氷川神社」と呼ばれることが多い。


(埼玉の神社 埼玉県神社庁)より
























左から 湯殿山 月山 羽黒山三所大権現
青面金剛 不動 青面金剛 光明真言百万度供養塔

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昭和57年(1982)建立 炎尾形狛犬
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神社脇のくわい畑


<参拝メモ>

当社は合祀によって新田村の村社となり、祭りには大字(旧村)ごとの総代が
参列するようになったが、この合祀は書類上のもので、
合祀の対象となった神社はそのまま残され、祭りも続けられてきた。
従がって、金明町以外の氏子は、当社の氏子というよりも、
昔ながら祀り続けてきた地元の社の氏子であるという意識の方が強い。
そのため、現在も当社は「旭神社」というよりも、金明町(旧金右衛門新田)の
鎮守としての「氷川神社」と呼ばれることが多い。
そのせいか、地図上にも氷川神社と載り、社号額にも氷川社とあって
旭神社と記載されたものは無い。

(駐車スペース有)



     
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