<由緒> 創建年代は不明であるが『風土記稿』寺塚村の項に「鷲宮社 村の鎮守なり、 本地仏釈迦秘して見ることを許さず 東照寺持」とある。 ここに見る東照寺は、古河公方足利政氏の開基による臨済宗甘棠院の末寺で、 開山の僧周東は、延徳元年(1489)に寂していることから、 寺の創建も室町時代中期と見られ、村の開発や当社創建の時代も このころと思われる。 (中略) 明治18年に日本鉄道が大宮・宇都宮間(現JR東北線)を開通させたが、 これにより当社参道は線路で分断されてしまった。 更に、同四十一年の複線化により社殿寄りに線路が敷かれ、社殿のすぐそばを 汽車が通るようになった。これが災いとなり、翌年の四月十日の追花祭を 終えた翌日、汽車の火の粉がもとで社殿が焼失し、内陣の釈迦仏も灰燼に帰した。 その後しばらく仮宮の状態が続いたが、大正十五年に再建され、現在に至っている。 「埼玉の神社 埼玉県神社庁」より |
![]() ![]() ![]() ![]() ------------------------- ![]() ![]() ![]() ![]() 境内から東北線の電車を眺める 明治24((1891)年建立の狛犬。 東北線が大宮から青森まで 全線開通した明治18年(1885)以来、 この子達は120年もの間、 初期の蒸気機関車から、ハイテクの電車まで 東北線の列車を眺めてきたことになる |
<参拝メモ> JR東北線(宇都宮線)のすぐ脇に鎮座している。 欅の大木が見事だ。 この神社へ参拝するには、専用の狭い 踏み切りを渡らねばならない。 鉄道の歴史より、神社の歴史の方が 遥かに古い筈だから、鉄道の線路が 参道を分断したことになる。 機関車からの火の粉で社殿が消失したり、 様々な経緯がある神社らしいが 頻繁に行き来する、上り下りの 列車の通過を知らせる、 警報機の音が賑やかだった。 (駐車スペースなし 路駐短時間) |