<由緒> 当社について、『風土記稿』は次のように記している。 春日社、村の鎮守とす。慶安二年(1649)社領五石一斗のご朱印を賜う。 当社は貞和三年(1347)の勧請なりといえど、正しき証はなし。 (中略) 別当慈眼寺、新義真言宗玉壺山と号す、本尊不動を安ず。 (中略) 明治四十五年に字細谷の愛宕神社と宇地家の熊野社を合祀した。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
![]() ![]() ![]() 天神社鳥居と参道 ![]() 聖徳太子石碑 |
<参拝メモ> 田黒の諏訪神社へ行こうとして道に迷い、当社の前に出た。 これも神縁、参拝させていただいた。 田黒の諏訪神社は又の機会にということで、次の神社へ回った。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」によれば、この神社でも 祭礼には餅撒きや流鏑馬などさまざまな行事があったという。 諸般の事情から、廃止されたものもあるようだが 山里の、普段は淋しい神社の境内も、 祭礼の日は多くの人で賑わったという。 (駐車スペースあり) |