東京都新宿区・穴八幡神社>古社巡拝録

    穴八幡神社
あなはちまんじんじゃ

神紋 左三つ巴
 ご祭神 
応神天皇(おうじんてんのう)
・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
・神功皇后(じんぐうこうごう)

 鎮座地 東京都新宿区西早稲田2丁目1−11
 参拝日 2015.12.26

<由緒>

社伝によれば、1062年(康平5年)源義家が奥州からの凱旋の途中、
この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったという。

1636年(寛永13年)ここに的場が造られ、この八幡宮を守護神とした。

1641年(寛永18年)宮守の庵を造るため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、
中から金銅の御神像が現れた。掘った人は「芽出度い」と大喜びし、
以来、「穴八幡宮」と称するようになった。
3代将軍徳川家光は、この話を聞いて穴八幡宮を幕府の祈願所・城北の総鎮護とした。

歴代将軍がたびたび参拝し、8代将軍徳川吉宗は、1728年(享保13年)に
世嗣の疱瘡平癒祈願のため流鏑馬を奉納した。
流鏑馬はその後も世嗣誕生の際や厄除け祈願として奉納され、
穴八幡宮に伝わる「流鏑馬絵巻」には1738年(元文3年)に奉納された
竹千代(後の10代将軍徳川家治)誕生祝の流鏑馬が描かれている。

江戸の庶民からも信仰を集め、特に蟲封じの祈祷は有名だった

1945年(昭和20年)の東京大空襲で、建物の多くを焼失。

1961年(昭和36年)御鎮座900年事業として本殿再建工事を開始。

1989年(平成元年)引き続き幣殿、拝殿工事を行う。

1998年(平成10年)、隨神門を室町時代の様式で再建す、なお境内全域を古書を基に未だ再建途中。

また冬至の「一陽来復」のお守りでも知られる。
お守りを受け取れる期間は毎年冬至の日から翌年節分の日までであり、
冬至の日は特別に午前5時から受け取る事ができる。

WIKIPEDIAより









髄神門











神武天皇遙拝所

鼓楼(平成27年5月復元完成
-------------------------

-------------------------
平成4年(2002)建立 炎尾形狛犬

流鏑馬像

境内より早稲田方面


江戸名所図会 穴八幡神社



<参拝メモ>

この神社の「一陽来復」守りは、親の代から受けていたが
自分の代になって途絶えていた。
冬至から節分まで受けることが出来るので、暮れの一日参拝。
冬至の日には長い行列が出来るということだが
冬至過ぎの今日も、好天と土曜日ということもあってか、長蛇の列だった。
境内には良い狛犬もいたが、
写真撮影が出来なかったので、また改めて参拝のこととする。





     
 HOME    INDEX









inserted by FC2 system