<由緒> 社伝では、崇神天皇の時代に豊城入彦命(崇神天皇皇子)が 東国平定の折に戦勝と人心平安を祈願し、 当時から広く名を知られた室の八嶋(むろのやしま、室の八島とも記す)に、 崇神天皇が都とした大和国磯城瑞籬宮(現在の奈良県桜井市金屋)に座した 大三輪大神(大神神社)を勧請したのが創建とされている[ 「WIKIMEDIA」より |
西鳥居 昭和45年(1970)建立 炎尾形狛犬 神宮 護国神社 神楽殿 左門神社 右門神社 福神社 祖霊社 大杉神社 《室の八嶋》 室の八嶋(むろのやしま)は、古来の和歌などに歌枕として見られる地名。 当社境内の池中の島をその跡と伝える(ただし後世の付会とする説もある)。 奈良時代の昔から歌枕として都にまでその名を知られ、 『万葉集』や『古今和歌集』をはじめとする多くの和歌集などに登場する。 池には八つの島があり、それぞれに小祠が祀られている。 筑波神社 太宰府天満宮 鹿島神宮 雷電神社 富士浅間神社 熊野神社 二荒山神社 香取神宮 芭蕉句碑 糸遊に結びつきたる煙哉 (野辺から立つ陽炎(糸遊)と、池から立ち上がる水蒸気とが、 流れて溶けあっている。のんびりした春の情景を詠んだもの)
<奥の細道> 室の八嶋に詣す。同行曽良が曰、「此神は木の花さくや姫の神と申て富士一躰也。 無戸室に入て焼給ふちかひのみ中に、火々出見のみこと生れ給ひしより室の八嶋と申。 又煙を読習し侍もこの謂也」。将、このしろといふ魚を禁ず。縁記の旨世に伝ふ事も侍し。 <現代語訳> 室の八島に参詣する。同行の曽良が言うには、 「ここの祭神は木花咲耶姫の神と申して富士山と同じ神です。 咲耶姫は無戸室(うつむろ。四方を塗りふさいで、出入り口をなくした室)に入って火を放ち、 不貞でできた子なら焼け死んで出産できないはずと身の潔白を誓い、 燃え盛る炎の中、無事火々出見のみことをお生みになったことから、 ここを室の八島と申します。 また、室の八島の歌に煙を詠む習わしがあるのもこの謂れからです」と。 それからまた、ここでは「このしろ」という魚を食することを禁じている。 こうした縁起の趣旨が世に伝わることもあるようである。 |
<参拝メモ> 東北自動車道栃木インターから東へ10kmほど東、 田園地帯の中に鎮座している。 式内社であり、下野国総社という格式の高い神社だが 「室の八嶋」という、古くからの歌枕の地として、歌人憧れの神社として知られている。 奥の細道に旅立った松尾芭蕉も、まず最初にここを訪れている。 もっとも、芭蕉が訪れたころには、「室の八嶋」は消滅していたらしい。 (「室の八嶋」については古来諸説あり、調べてみるとこの神社に存在したのかも 不確かになってくるが、学術的なことは別にして、 今回は、純粋に古代へのロマンに思いを馳せた) 境内に人影はなく、ただ、赤い椿が咲き誇っていた。 (駐車場あり) |