<由緒> 村の開発は、『風土記稿』に「慶長(1596−1615)の頃、下総国佐倉の人、 清兵衛と云者来りて開墾せりと云」と載る。一方、当社の本殿に納められている 春日大名神像の厨子銘には、文化十四年(1817)に野尻吉兵衛義孝なる者が 「当所開発人野尻恵右衛門名代孫」として奉納した旨が記されている。 また、当社は『風土記稿』に「春日社 村の鎮守なり、開発の頃鎮座有と云、 近来稲荷・疱瘡の二社を合祀す、村持」と載り、更に『明細帳』には 「元和元年(1619)中ノ創建と云ヒ伝フ』とある。 これらの資料を勘案するに、その創建は村を開発した人々により 村の安泰を願って行われたことが推察される。 (中略) 造営については、旧覆屋の礎石の銘文によると、寛永三年(1626)に 社殿を建立し、天保四年(1833)に土台の石垣を再築し、更に 文久二年に社殿を修理した。 現在の社殿は、昭和六十二年に再建したものである。 ![]() 春日大明神像 文化14年 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 稲荷社 疱瘡社 ![]() ![]() ------------------------- ![]() 元治元年(1864)建立 立ち尾形狛犬 ![]() ![]() |
<参拝メモ> 江戸川を境に、千葉県と境を接する水田地帯に鎮座している。 地名の「半割」というのは、昔の地主制殿の名残といわれ、 地主と小作人の割り当て方を示したものであるという。 大きい神社ではないが、彫刻もすばらしく狛犬もなかなかよかった。 (駐車スペースあり) |