吉見町明秋神社>埼玉の神社>古社巡拝録
明秋神社 めいしゅうじんじゃ |
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ご祭神 | ・天照皇大神(あまてらすおおみかみ) ・豊受大御神(とようけおおみかみ) |
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鎮座地 | 埼玉県吉見町明秋510 | |
参拝日 | 2015.6.09 |
<由緒> 当地は荒川右岸の低湿地に位置し、東は荒川を境に鴻巣市と接する。 『風土記稿』に「須戸野谷新田」と見えるのが当地のことで、その開墾経緯については 「東照宮御鹿狩ありし地にて、其時鴻巣駅より荒川へ船橋を渡せし故、 この地を鴻巣駅の伝馬役地に賜はりしより、今に至まで鴻巣宿の持なり。 後に原野を開墾して陸田とす」と記されている。 また、当社は村の鎮守で「神明社」と載り、「相伝ふ此地もと東照宮の御休なりし故、 後人当社を建立せしと云」と記されている。 恐らく鴻巣宿の持添新田として当地が開かれた後、移住してきた人々によって 耕地の安泰が祈られ奉斎されたものであろう。 その年代は享保十二年の検地以降のことと考えられる。 その後、文化年間(1804−18)から幕末までの間に、当社は村の西方の字吉見橋から 中央の現在地に移された模様で、『郡村誌』に「昔時荒川の洪水の難を免れん為に 伊勢両宮を遷座せしよし、古老の口碑に伝ふ」との記事がある。 須戸野谷新田は、明治に入っても住民には所有地がなく、戸籍編成に差支えが生じたため、 明治五年に鴻巣宿から分離独立し、同七年九月に明治の「明」と季節の「秋」を採って 明秋村と改称した。大正元年には境内の稲荷社を本社に合祀し、 社名を明秋神社と改めた。 (埼玉の神社 埼玉県神社庁)より |
境内石碑 |
<参拝メモ> 鴻巣市と、川島町を結ぶ埼玉県道76号線の、 荒川の上に架かる糠田橋下に鎮座している。 周囲は一面の畑で、神社の森が小島のように見えた。 (埼玉の神社 埼玉県神社庁)によれば、 参拝当日は例祭、翌日は風祭ということで 獅子踊りが行なわれるということだが 神社に人の姿はなく、ただ子供の描いた可愛い灯篭が ポツンと置かれてていた。 (駐車スペース有) |
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