東京都台東区・吉原神社>古社巡拝録

吉原神社
   よしわらじんじゃ  

 ご祭神 
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)

 鎮座地 東京都台東区千束3-20
 参拝日 2016.7.17
<由緒>

当社は吉原遊郭とともに歩んできた神社です。
吉原遊郭は元和3年(1617)、幕府の許可を得て庄司甚右衛門が
江戸市中に散在していた遊女屋を日本橋葺屋町(ふきやちょう)の
東隣(現在の日本橋人形町周辺)に集めたことにはじまります。
この地には葦(よし)が生い茂っており、そこから「葦原」、転じて「吉原」と命名されました。
しかし次第に吉原が江戸の中心地になってしまったため、
明暦3年(1655)に現在地である千束村へ移転となりました。
以後、日本橋葺屋町付近にあった頃の吉原を「元吉原」、
移転後の吉原を「新吉原」といいます。
 この「新吉原」には廓の守護神として五つの稲荷社が存在しました。
吉原の入口である大門(おおもん)の手前に「玄徳(よしとく)稲荷社(吉徳稲荷社)」
、さらに廓内の四隅には「榎本稲荷社」「明石稲荷社」「開運稲荷社」
「九郎助稲荷社」がお祀りされていました。
 その後明治5年に、これら五つの稲荷社が合祀され、
総称して吉原神社と名付けられました。
当初は玄徳稲荷社旧地にお祀りされていましたが、関東大震災にて焼失。
震災後は水道尻付近の仮社殿にてお祀りしていましたが、
昭和9年に現在地へ新社殿を造営、そのさい新吉原隣接の花園池に鎮座する
吉原弁財天も合祀しました。
その後昭和20年の東京大空襲で惜しくも焼失しますが、
昭和43年に現社殿が造営されて現在に至ります。

(吉原神社HPより)














お穴さま



龍燈鬼と天燈鬼。
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昭和28年(1953)建立 狛犬




<参拝メモ>

先に参拝した飛不動尊南約250㍍ほどのところに鎮座している。
この辺りは、かって新吉原と呼ばれた遊郭地だったが、
今はその面影はない。
この神社に参拝後、 受付で御朱印をいただいているとき
震度4という地震があり、一瞬吃驚したが
御朱印を書いてくれた女性は、「神様に仕えているので、神様が守ってくださり
少しも怖くありません。大丈夫ですよ」と、にっこりと笑ってくれた。
その後少しお話ししたが、この神社の出身だという。
御朱印の字も達筆で、感じの良い方だった。




     
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